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前回は、仕事とはという所、仕事力とその源泉が欲にあるという話でした。その時、仕事する事から得られる物は何でしょうか?給料、収入、直接的な物、などがまず思いつかれるでしょう。ひっくるめて言えば、成果という事になると思います。所謂、成果主義は成果に従って給料を払いますよという制度であります。と言うと、ただ成果が給料と等しい物となるので、私としては避けたい所です。欲求を充足するために仕事をするなら、安全の欲求ならまだしも、自己実現の欲求などはどうやって給料で補えるのでしょうか?すなわち成果主義とは成果に応じて、比例してあくまでも給料を払うという給与制度ですので、成果と給料が等価交換される訳ではありません。
「仕事」が「食欲」を満たすことを前提としているのならば、「仕事」によって得られるものとは食料でもありまたそれ以外も付与されてきます。それは先程述べたように安全の欲求が満たされた時には衣食住などが含まれてきます。この様に、間接消費物を生産する活動が伴って初めて「仕事」であるならば、間接消費物とはそこに収入が含まれてきます。さらに高い段階に至っているのならば、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権などといったものが得られていると思います。何を以て得られるものが決定されるのでしょう。それはやはり「成果」だと思います。どんなに「力」があっても「成果」として生み出していなければ、欲求は満たされないのです。捕食活動もまた成果によって報われるのであって、どんなに足が早くても、どんなに腕力があってとしても、獲物を取ることが出来なければ食べることは出来ません。では、「仕事」における「成果」とはどの様に算出されるものなのでしょうか。一定期間における「成果」とは、一定期間に産出した労力と余力の総和だと考えます。


「成果」を産み出す


では、成果はどの様に求められるのか。あまり、数学は得意ではありませんが、方程式にしてみます。
成果=労力+余力
まず、疑問を持たれると思うのは、「何故成果の中に、余力を含めるのか?」だと思います。人間は、というより、地球上の生物というのは循環することを内在すると考えています。他の言葉で言えば輪廻だったり、陰陽道のような考え方に近いと思います。何かしらの正の行動は、負の行動を伴わないと存在しえないということです。簡単にいうと、力を発するためには、必ず力を貯めるという行動が必要になってくるからです。24時間働ける人はいると思います。その次の日も24時間同じように働けますか?さらにその次の日はどうですか?無理ですよね。極端な例でしたが、明日も働くためには今日すべての力を使い切るのではなく、力を温存して置かなければ、もしくは再び活動するならないのです。とすると、成果を出す際にはどれだけの余力を残すのかということも同時に考えなければならないと思います。
また、効率良く休むというのもライフハックとしては、よくある考え方でありますが、ここでは仕事にフォーカスするためにおいておきましょう。


成果だけを望むのか


成果=(労働量×生産性×評価)+(余暇量+必須消費量)

成果は、評価されないです。ただ、給料に換算されるだけで、評価されるのは仕事っぷりです。成果が低くて、評価が高い状態はありませんから。あくまでも評価されたのが成果なのです。評価は客観的な物です。必ずしも上司だけとは限らないでしょう。部下からの評価もあるし、お客様からの評価もあると思います。以上のように、成果というものを分析してみました。仕事するということは成果を出すということです。では、仕事をするとなると、成果を極大化しなければならないのでしょうか。それはもしあなたが誰よりも多くの収入を得たいと思うのなら、成果を極大化する必要があります。成果に応じて収入は入ってきますから。しかし、今誰しもが成果を極大化しようとして、ヒーヒーと根を上げているように思えます。そして、誰しもが労働量にばかり着目して、余力を無くしていき、終いには潰れてしまうのです。成果というものを方程式であらわしたのには、個人もまた企業の収支と同じように考えてみてほしいと考えたのです。すると、成果は企業の売り上げです。労力は企業の原価です。そして、企業の利潤は余力となるのです。企業において大量生産主義が終わったように、個人においても成果の極大化だけが目指すべきところではないのです。ではなにか?利潤の追求です。ステークホルダーの満足です。あなたのステークホルダーは、もちろんあなたがあなたの主人であるというのは当たり前であり、また家族であったり友達であったりしないでしょうか。余力、余暇に使う時間があるから、あなたは家族と過ごしたり、友達と趣味に興じることが出来るのではないでしょうか。つまり、一定の成果を収めつつ、余力を最大化していくことがこれからは求められてくるのではないでしょうか。
これは企業でいうP/Lですね。では、B/Sはどういう風に構成されるのでしょうか。企業では左が資産で、右が負債と利益になります。利益は先ほどと同じように余力になります。資産は、あなたがこれまでに身に着けてきた力だと思います。負債は、というとまるで何か借金しているようですが、こういう言い方もあります。他人資本と自己資本です。あなたが投資できるもの、それはあなたの時間であったりあなたのお金であったりするでしょう。同じように他人がもつものも自分に投資しているのです。それは直接的ではない場合が多いでしょう。本であったり、教育を受けるというのは本来は他人が他人自身のために投資してきたものを借用しているのです。それによってあなたは自分の時間やお金を莫大に使わなくてもすばらしい知識を得ることが出来ているのです。さらにもう一歩、分解してみましょう。


生産性に着目する


成果={労働量×(仕事力仕事術、etc)×評価}+{総運動量-労働量)

流石にこれ以上の分解は 不毛ですので辞めておきましょう。
労働量としてあるのは、かける時間もそうですがかける体力や集中力といった所もそうです。だらだらとやるのと集中してびしっとやるのでは出来てくるものというのは違ってきます。時間ということではサビ残は就業時間に含まれないじゃないですかというはその通りで、しかしながら労働はしているけれども除外される評価になっているという事です。ただ、これらを分けて式にしてしまうと変数が多くなってしまうので一旦避けさせて頂きました。
生産性、この言葉は使う上で悩みました。仕事力という自己発生と、仕事術という自分以外の力を使うという両方を含めざるを得ない。となると、説明がややこしいのですが。ここは後に細かく分類していきましょう。


仕事はやった事が全てというのは、自明の理かもしれません。がしかし、今までは労働量に着目され続けてきたのではないでしょうか。それは今風に言うのなら「見える化」しやすい事であり、つまりは定量的に測定しやすい事であるからだと思います。何時間仕事しました、何個作りました。それは肉体労働者からすれば、単純かつ成果を表しやすい事でありました。しかし、今みなさんは知的労働者となっているのです。何時間も仕事したからいい文章が書けるのか、何個作ったから売れる商品を製造できるのか。それを保証する事は出来ません。労働量×評価という尺度では、どうしようもない事態です。そして、最終生産物に至るまでに多くの人の手を渡ってしまうので、誰がどれだけ貢献しているかは売れたという事実からは測定しにくくなっています。売れるというのが絶対的尺度であるのは誰にも分かりやすい事です。それに対して、間接的な関わり合いしかないとしか見なせないから、労働量に着目せざるを得なくなるのです。例え営業職だとしても、売れたのは営業の手腕によるものか技術的な良さからなのかは分別しにくいのです。それで終わってしまっては、ここで書いてる意味がなくなるので続けるとしましょう。


生産性は一定に増加するのか


このように分解したのは、余力というのは限界量から労働量を差し引いた分であるので、労働すればするほど一律に減っていくということ。対して、労力というのは労働量に対して生産性と評価という係数により増減する可能性を含むということです。これまでの時代では、生産性は年齢に従って増加していくものという前提があったために、それに評価を連動して給与を計算して他の人と差をつけられていた訳です。それは仕事力という内在する力に頼っていたからに過ぎません。その人の持つ生まれつきの才能やそれまでの経験という年月を経るごとに増していくものしかないと思われていたからこそ、そのような給与体系でありまたそれで問題はなかったのです。人より多く仕事をすることで多くの経験をしてその差を埋めようとするのは間違ってはいませんが、非常に大変な道です。そうではなくて如何に賢い人が作り出した方法をうまく使って自分の物にしていくかに注力した方が楽なのです。
方法は既にあるのです。後は知るかどうかです。使いこなしにくい方法というのは、結局は淘汰されていくものです。賢い人ほどシンプルさを追い求めます。見た目だけの単純作業に騙されずに、シンプルで効果的な方法を知って活用していきましょう。

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「仕事術」の体系を俯瞰してみたい』、事の発端はこういうわけだ。ある一人のビール好きの天才のお金にはならないような無謀な挑戦が、ある一人のギリシャ好きの気分屋の琴線に触れたことでちょっと首を突っ込んでみようかと思い立ったのだ。既に世の中に溢れる「仕事術」が様々なテクニックやメソッドを紹介しているけれども、そもそも「仕事術」とはなんなのだということを彼は突き止めずにはいられなかったのだ。何故ならば、それらは今や電子書籍の大波に飲み込まれるかという出版業界がこれでもかと出していった3分クッキングのようなものだから。どんなにそれを習得しても、「いい奥さん」になれるという方程式は導き出せない。かの堀さんが「ライフハック」を”Lifehack+ing”ではなく、”Life+hacking”をしているのですというように、「仕事術」をしているだけでは「仕事が出来る人」にはなれないのかもしれない。彼が欲しているのは、『仕事が出来る人」になれるような筋道だった一連の物なのだ。



仕事力」が持つ重み
仕事をしていく上で、それらをサポートする基本的な「技術」。それが一応「仕事術」の私なりの定義だ。それらは「技術」である分、視点はかなり「現場より」だ。現場より、臨床よりなので実践的であるが、その分全体を見通すことは難しくなる。
むしろ、そこから一歩引いてみて、全体を俯瞰し、組み立て直す。枝葉の情報に繋がるための幹のような存在。そういうのが一つくらいはあってもよいのではないかと思う。


R-style » 「仕事術」の体系を俯瞰してみたい



もちろんすでに天才の頭の中には漠然とながらもイメージが存在しているので、私がここで喚くなどというのは余計な「ちょっかい」でしかない。もしかしたら、混乱させることになるのかもしれない。それは私にとっては愉快なことではあるのだけれども、出来るのなら補完できるようにはしたいものだ。これが私にとっての決意表明であり、何回のシリーズになるかは皆目見当はつかないけれども思いつく限りは続けていこうと考えている。


「仕事」とはなんなのか


まず「仕事」がどういった行動で、何のために行うのかということを定義しないと、「仕事術」の体系が必要とされる所以は語れないと思う。「仕事」の定義とは、「捕食活動の高次的発現」であるのだ。つまりは、食べるを取るために狩りをするという原始的活動を代替する、人の役に立つや自分を成長させるといったそれ以上の意味合いを含んだ活動であるということだ。余剰生産物を生み出すことが可能になったことにより、物々交換が始まり、やがて貨幣流通を行えるようになった中で、直接食物を生産しなくても良くなったことにより発生した現象だと捉えている。これは一つの根底があると捉えているからで、それは人間の三大欲求の一つである「食欲」だ。そして、この低次欲求があるという言説が依拠しているのは、アブラハム・マズローの自己実現理論、もしくは欲求段階説と呼ばれるものだ。「食欲」という低次欲求が満たされているという前提のもとに活動しているので、「捕食活動の高次的発現」と表現している。


よく世間一般で仕事をしていて「食べていけるからこんな仕事でもいい」という言説があったりするが、文字通り食べるだけのために仕事している訳ではない。衣食住に関する「安全の欲求」がそこでは満たされている。どんな人も少なくとも雨風がしのげるところにいて、臭い時があっても服はまとっている。ただ、ここで注意して欲しいのは、必ずしもどんな時も「食欲」という低次欲求を満たすために「仕事」をするわけではないということだ。自己実現理論にもあるように欲求は移行されていくので、低次欲求が満たされた状態であればより高次である欲求を満たすために「仕事」をするということになる。ホームレスの人が空き缶や雑誌を集めるのは「仕事」であるけれども、山奥や人里離れたところで畑を作ったりしているのは自給自足の「生活」であってそういう人においてはその上で陶芸や絵画をするのが「仕事」だと言いたいのだ。というところにあって、他者との経済的交流がなければ「仕事」とは言えないとも言える。もしくは直接消費するものではないものを生産するにいたって、「仕事」になるといえる。



仕事力」の必要性


なぜ欲求というものにまで遡って話をしているかというと、欲求を満たすには直接間接問わず「力」が必要だからだ。すなわち、「仕事」という欲求を満たすための活動に対して、「仕事力」という力が必要になってくるという図式を明確にしたかったからだ。そして、「力」が強ければ強いほど、欲求は満たされやすくなる。もしくは欲求が渇望しているから、「力」が強くなるとも言える相関関係にある。このように「仕事力」がその欲求の段階において必要とされる強さ、もしくは多様さも含めて違うと言いたいのは下記の文節に対する答えである。


選択と集中という戦略が必要なように、”○○力”も自分の仕事に本当に必要な力は何か良く考え、選択し集中しないといけないのかもしれません。「知識はあるけど使えない人」若しくは「頭でっかちで動けない人」になってしまわないように、こういった”○○力”本との接し方はちょっと気をつける必要があるのではないかと思います。

これについては完全に同意します。ただ、「職業・職種」だけでなく「その人の志向性」でも必要な力は変わってくるのではないか、と私は考えています。「営業職」でも「バリバリ出世型」と「じんわり居座り型」では必要なスキルは変わってくるでしょう。

結局の所、自分が何を目指していて、そのためにどんなスキルが必要なのかが理解できて初めて「必要な力」というのが見えてくるのだと思います。つまり「選択と集中」戦略をとるためには、その前段階で「自身」について知っておく必要があるというわけです。


R-style » これからのビジネス書に本当に必要なこと



今、「自身」の欲求がどの段階にあるのかを、自らに問いかけることで必要な「力」が何であるのかを的確に認識して欲しい。しかしながらここで注意して欲しいのは、欲求を満たすものそのものが「力」ということにはならないことだ。欲求を満たすのは、「力」によって生み出される他のものだ。


つづく


もう少し続きを書いた時点で、疲れてきました。まだ頭の中でまとまっていないのかもしれません。なぜ【仕事戦術】というシリーズタイトルにしたのかも書かずに続くにしてしまいます。次の回でもまた語れないかも。3000字弱のを5時間もかけてしまっているのだけれども、そう考えると@rashita2さんや@kazumotoさんの書く速さというのは速いのだなと。いや、自分が遅いのであって、やはり書くことがきちんとまとまっているから、その速さで書けるのだなと思います。それよりも集中力の問題かな。訓練の日々ですな。

起業してほぼ確実に成功する方法」を読んで

主張の正当性


堀江さんがブログで語ったことは一つの光明となり得る事で、逆に話しちゃっていいのかなと思ったほどです。だって「ほぼ確実に成功する」なんてたいていの人は信じないだろうし、まあ反論されることもわかっているだろうし。自分としては逆にそうだよねって思わずうなづいたほどのことですが。堀江さんが述べている業種というのは、そうそう見つかるものでもない。それは既に賢い人はそういうのを押さえてしまっている訳で、頭を捻った上で出さないと出てこないかもしれない。最近出てきたので言えば、病院の待合室などで置いてある飲料水のサーバ、「アルピナウォーター」とか。ペダル式で出てくる昔からあるのは設置が大変だから廃れてきたのだろうね。スポットで置きたい場合とか特に重宝するのだろうね。サーバ本体の代金でも毎月回収できるし、もちろん水のボトルでも毎月回収できる。無資本か小資本かと言われるとすこし違うのかもしれないけれども、こういう感じに食い込んでいければ確実に「成功する」と思う。

そして、堀江さんがうまくいかないと思う理由としてあげているのに、「すべての時間を仕事に使って頑張る」をしていないからとある。逆にそういうことが出来る人は「成功する」。これに対して、なにか反論する余地があるのか不思議でしょうがない。それでももちろん反論する人は出てくるのはわかりきったことだけども。堀江さんが対象にしているのは、何らかの分野なりにて「成功したい」と望む人なのであって、労働法で守られて庇護の下で生活するしかない人を対象にしているわけではない。それは単に会社員で入れればいいという人は含まれないし、堀江さんも含めてはいないだろう。含めてもいないのに誰でもかんでも対象のようにしてそれを権力を振りかざしているかのように述べるのは、やはり反論ではなくてもはや曲解であろう。誰しもが基本給を額面どおりに受け取って満足するようなまるで共産主義の世界かのようであれば、誰かが飛びぬけていくのを諌める彼が正しいのかもしれない。しかし、ここは資本主義であり中には「成功したい」と心底思っている人もいるわけで、それを静止する理由などありはしない。労働法で8時間しか働いていけないと規定するのは、「お前ら実験用のラットなんだから、どんだけ動いても8時間分の餌しか与える気がないから、余計に動くんじゃないよ」と言ってる様に取れる。別にそんなのは規定する必要がなくて、もし8時間以上働いたらきちんとその対価が払われるような仕組みのほうがいいと思う。

反論の要点に対して


ホリエモン氏が自分でそのように行動することを労働法は何ら規制していません。ただし・・・」において反論の要点は、「不眠不休で仕事する企業家は、それをほかの人にも要求することがあり、それを助長するような発言は控えるように」ということだ。それは経営者になってみればわかると思うのだが、結論から言うと効率が悪いのでしたくないとなると思う。なぜなら、そういう働きをされたら通常以上の対価を払わねばならなくなるから。もう一つは、そういう働きをしてもらったからといってそれに見合った成果を出すかはわからないしそれを監視するのは難しいから。人件費というのは、支出の中で大部分を占めるのだからなるだけ少なくしてもらったほうがいい。もしせっかくの売れるものがあるのなら、なおさらのことだ。日本人の労働時間が長い理由なんて今や効率の悪さの表れとブラック企業一歩手前による申請によってとしか思えない。そんなことされたら会社が潰れてしまうので、「強制」するようなことなどありはしない。本当に「成功したい」と思う人が、会社とは関係なく自分の将来のためにそういう風に動けばそれでいいのだ。

もし、堀江さんが言っているようなことを出来ないのなら、「成功する」ってことは諦めた方がいいと思う。それは、自分もまた同様にだ。"Goals"でブライアン・トレーシーが述べていたが、全体の上位3%に上り詰めるような人が他の人と違うのは「全身全霊を尽くす」ということを決めたことだそうだ。同じことを言っているように聞こえるのだが、気のせいだろうか。誰だって「成功したい」と思うだろうし、お金持ちになりたいだろうと思っているだろう。であるならば、そこから抜きん出るには「全身全霊を尽くす」ってのは必要なことじゃないのかな。出来ないのなら、「成功する」ってことはあなたにとってその程度のことで「成功」しなかったからといって死ぬほどのことでもないのだろう。世の中で「成功している」人は誰しもそうやってきただろう。それはソフトバンクの孫正義氏も例外ではなく。もしこの反論している人がそういう主張であるのならば、孫氏にも食って掛かったらいい。それをしないのは堀江さんが一般的に悪役として捉われ易く、またご丁寧に反論してくれるだろうという打算の元のPV稼ぎなんだろう。
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自分のスタンス


きっとこんな考えは会社員のままだったら、拒否していただろう。でも、今は会社員の殻を被りつつ、それを脱しようと過ごしているから堀江さんの考えに同調している。今は周りにも同じような考えを持つ人が大勢いる。なんらおかしいことはない。「成功する」と決めた側に身を置けば。てなわけで、PV稼げるかなと思いつつ、自分のスタンスを表明してみた。

トラックバック先の話しに乗っ取り、自分も意味を調べてみた。


Strategy:
1.a plan designed for a particular purpose.
2.the process of planning something or carrying out a plan in a skillful way.
3.the art of planning and directing military activity in a battle or war.


Tactics:
1.a plan or method used to achieve something , often against an opponent.
2.the art of placing or moving fighting forces in a battle.

(出典:OXFORD Advanced Learner's Dictionary)


今「あずみ」が(あの上戸彩がムチムチのふともも晒して映画化したマンガ)が
載っている雑誌、ビックコミックスペリオールの中で興味深いのがある。



それは「マネーの拳」というもので、
題名はまるで「マネーの虎」をパクったかのようだが、
書いているのは「ドラゴン桜」の人と一緒なのである。


最初から読んでないから詳しくはわからないが、
どうやら元ボクシング世界チャンプの男が
ひょんな事からエンジェルに出会い、
(エンジェルというのは将来性豊かな事業に投資してくれる金持ち)
心機一転、経営で世界を取ってみるかと思ったらしい。
まずは居酒屋の建て直しで内装変えたり、店長と料理長すげ替えたり、
今はホームレスを集めて更にアパレルメーカーをつくろうとしているみたいだ。

で、今週号ではひとまず自社の製品(Tシャツ)を
K-1の様な格闘技イベントのイベントガールに
着させて記者発表の場で出させる事に成功した。
これはフィギアオタクがそのアイドルの実寸の模型を作って
それにぴったしのを作ったからなんだけど。
まあ、詳しくは買って読んでください。僕も見たいし。

で、本題はそこではなく、一山越えたチャンプに対して
エンジェルは「楽して儲ける(Profit)」のが本道だと宣う。
それってなんだよと。
誰だって汗水たらしながら必死こいている訳で、
ぐうたらしていて儲かる訳がないと。
だからって汗垂らした量に比例して儲かる訳でもないと。
油田を当てるにしても手当たり次第掘るのではなく、
きちんとでる場所を推測して掘る方が「楽」なのである。
つまり、元手が一千万で一千万を稼ぐ方法をとるのではなく、
一億稼げる方法を考える事が楽なのだと。
と、ここまではおいら理解出来た。
読んでいる方は理解出来たかな?
いや、俺のはしょってる説明で理解出来たら凄いのか。

で、問題はここから先なのだ。
その「楽して儲ける」の理想型がある。
それは「街角の煙草屋さん」なのである。
これがどうにもわからん。

日頃自販機ではまれにしか売ってない煙草を吸っているので、
割と使う事の多い「街角の煙草屋さん」なのであるが、
この理屈はどうもしっくり来ない。
けれど思うに彼らは大抵は暇そうなので楽そうだなとはいえる。
店番が一人いれば十分に持つ。
資材の搬入なんてたいしたことはない。軽いもん。
商品の宣伝は煙草メーカーがしてくれるし、
店の宣伝はしなくてもヤニ吸いは勝手に来る。
商品の賞味期限なんて気にしなくてもいいし。
店は狭くても問題ないし。
さてこの中に答えはあるのだろうか。

何はともあれ少ない投資で大きな利潤を得るのが王道だとすれば、
やはり宣伝をしてもらえるのが大きいのだろうか。
という事で答えは是非次のスペリオールを読んで確かめてください。

ちなみに「医龍」というのも面白いですよ。


ティーンエイジャーとはジェネレーションギャップを感じる、Dice+Kです。
今日は就活は一息ついたのですが、
明日の送別会の準備に追われ大変でした。

ところでわたくし履歴書の「学業以外に頑張った事」には
いつも"少人数グループにおけるリーダーシップの発揮の研究"なる物を
書かして頂いております。
ちょっとわかんねえよ、それと思いましたか?
私も今要約に非常に苦労しました。

要は学校の授業では経営戦略論などで組織という物を
非常にシステマティックな考えを元にして解説されている訳ですが、
末端に目を向ければそこでは日々
泥臭い人間関係が繰り広げられている訳ですが、
そこでもやはり理論(というより理屈)に基づいて
構成要員を統率していかなければならないでしょ。
という前提を持ってしてコーチングやらEQやらを駆使して
うま~くやって行くにはどうすればいいのかというのを考えていた訳です。

それって日常生活でも同じじゃんって訳でなく、
仕事場では上下関係が発生するので
当然の事ながら上から見た時はって話です。
実際には今までの出来事を絡めて
わかりやすく話してますけど。

で、今もそれを実践しているのですが、
ぶっちゃけ今日「こいつはリーダーに向いてるのか?」と思う出来事があったので、
そいつに対する非難は置いておいて
ひとまず冷静に「リーダー」とは何かを
最初に考えてみようと思った次第です。

という事で前置きが長すぎですが
今日のテーマは"リーダー(Leader)"の定義です。

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