いや、それでも一部だ。
もっと言えば、始まりであり戦いはこれからなのだ。
ベルギーにあったのも、ドイツ・ニュルンベルグにあったのも
序の口なのだ。
なにより重要といえるのは、
パルテノン・マーブル(Parthenon Marbles)のはずだ。
「ただの石」を獲られたから、「ただの石」を取り戻すわけではないのだ。
さて、なんでもいいからこのアクロポリス(Acropolis)博物館も含めて
またギリシャ行きたいなぁ。
あ、詳しくは下のニュース見てください。
国外に流出した紀元前5世紀の遺物など、ギリシャに返還される
世界バスケ選手権が終りを向かえました。
ギリシャはアメリカを破るものの47-70と大敗。
相手はスペインだった。
って、欧州王者じゃないのかよ、ギリシャ。
負けるなというのは言い過ぎだけど、
接戦は演じて欲しかったなぁ。
でも、メダルは持ち帰れたのだから、嬉しいね。
そういえば、地元にギリシャ料理店あるけど、
その人たちも喜んでいるのだろうか。

パナシナイコス、土壇場で負けてしまいました。
惜しい、せめて引き分け(Draw)であったのならば次に繋げたのに。
はっきし言ってもう無理です。
バルセロナとウディネーゼがグループリーグ突破を決めます。
もし次節ウディネーゼがバルセロナに負けて
パナシナイコスがブレーメンに買ったとして勝ち点で並んでも、
無理です。得失点差で負けます。
ウディネーゼは+8でパナシナイコスは±0なのです。
ウディネーゼが0-5で負けてパナシナイコスが3-0で負けるくらいの
奇跡が起きないと不可能です。
去年リバプールがオリンピアコスに行った事よりも非現実的です。
所詮ギリシャ勢は内弁慶なのだろうか。

一方未だ復帰出来ていないカリステアスの所属するアヤックスは
スパルタに勝ちました。
今回はデ・ヨングが二点を決めて勝負を決めました。
この人は(というかこの子?)DFとセンターハーフも出来る器用者。
今回は53分に途中交代で出てきたながらも2ゴール。
すんばらしい!
けれどやはりカリステアスの一日でも早い復帰が望ましい。
アナスタシウもローゼンポリもいまいちだったようだ。
FWが点を取れないチームじゃしょうがない。
日本代表と同じになってしまう。
結局昨日はギリシャは負けてしまった。
あの前半の得点から逆転をすることなく…
最早2位になる事は奇跡(Miracle)に近い。
というか自力では不可能だ。
トルコとデンマークが引き分け以下の結果で、
なおかつギリシャは必ず勝たなきゃならない。
EURO2004に続くギリシャ旋風はW杯では席巻しないのだろうか。
そういえばアフリカ予選ではコートジボワールが
カメルーンを抑えてW杯出場を決めた。
コートジボワールというのはチェルシーのディドィエ・ドログバや
この前ハリステアスを怪我させたアーセナルのコロ・トゥーレや
オリンピアコスに在籍するコロの実弟のヤヤ・トゥーレがいる。
でも初出場だからってんだから凄い。
ちなみにカメルーンの方はバルセロナにいるエトーなんかが有名だ。
あとはアンゴラ、トーゴ、ガーナが初出場を決めている。
今度は12日に予選が行われる。
きっと目が離せないだろう。
というか見れないから離しようがないかも知れないが…
いや、個人的にそう思えるだけなんですけどね。
イヤー、昨日の深夜はチャンピオンリーグの第2節があったじゃないですか。
こんな感じで…
A バイエルン 1-0 クラブ・ブリュージュ
A ユベントス 3-0 ラピド
B アヤックス 1-2 アーセナル
B トゥーン 1-0 スパルタ
C パナシナイコス 2-1 ブレーメン
C バルセロナ 4-1 ウディネーゼ
D マンチェスターU 2-1 ベンフィカ
D リール 0-0 ビジャレアル
割と妥当な結果になったようです。
まあ、パナシナイコスがブレーメンに勝ったのが
ギリシャ好きとしてはうれしいですね。
ただそれでもトーナメントに進めるかは未知数ですが。
そう、それで大変なことというのは…
ハリー君が怪我(Injury)しちまったんですよ。
ハリーってハリー・ポッターのハリーじゃなくて
ギリシャ代表でアヤックスに所属するFW
Αγγερος Χαριστεας(アンゲロス・ハリステアス)

(男前じゃん?)
先週末のローダ戦で二点を決めた活躍を認められ
今回先発になったようなんだ。
それで結構押せ押せでいい感じだったみたいなんだけど…
59分に相手チームのコロ・トゥーレ選手により
怪我をさせられてしまって、負傷交代。
長引くかどうか心配だ。
今年の1月の冬のマーケットで
ブレーメンから呼ばれたんだけど、鳴かず飛ばずで…
しかも今夏にはスウェーデンのマルクス・ローゼンポリという選手が加入
ポジション争いが熾烈になってきた中での
せっかくのチャンスだったのに…
さて今日の深夜には第2節残りのグループが
E フェネルバフチェ - PSV
E シャルケ - ミラン
F レアル・マドリー - オリンピアコス
F ローゼンボリ - リヨン
G アンデルレヒト - ベティス
G リバプール - チェルシー
H ポルト - アルトメディア
H インテル - レンジャーズ
当然おもしろいのはリバプールvsチェルシー。
個人的にはリバウド率いるオリンピアコスが
ジダンとロナウドの欠けたレアルに勝てるかってところかな?
さぁ、楽しみだ!
今日も張り切ってアテネ観光です。
まず行ったのはΕθνικο Απχαιολογικο Μουσειο(国立考古学博物館)
Nefeliからミトロポリ大聖堂に向かいElmou通りを横切りAthinas通りを北上していきます。
其処はまさしく「ギリシャの歴史」の宝庫。
紀元前3000年前の最古の文明からヘレニズム時代に至るまでの
大理石像、青銅像、陶器が保管されている。
歴史の教科書でしか見た事がなかった数々の作品が目の前にあるわけである。
これを感動と言わずしてなんと言うか。
しかし、残念ながらこの時には二階の陶器の方は整理中で見る事が出来なかった。
次に南下してPanepistimiou通りの近くにある(正確には13 Stadiouにある)
Εθνικο Ιστορικο Μουσειο(国立歴史博物館)に行きました。
ここは主に独立戦争(1821~1827にかけての事)を中心とした
ビザンチン時代以降の歴史資料を数多くそろえている。
と、博物館を二つ回ったところでお腹もすいてきたので
EVEREST(ERMOU 2)で昼食を取った。
午後は国立歴史博物館を少し戻ったところにある
アテネ市博物館(7 Paparigopoulou)へと向かった。
ここは元はオットー1世の宮殿であったところで、
アテネ市の歴史を紹介しているところだ。
最後に今日のメインであるスニオン岬へと向かう事にした。
基本的にはバスでの移動になり、海岸線と内陸線の二つがある。
海岸線はAreos公園という国立考古学博物館より更に北上すると見えてくるところから乗れる。
もしくはシンタグマ広場近くのFilelinon通りにあるバス停からも乗っていける。
だいたい二時間程度の道のりでゆったりと青い海を見ながらいける。
だが、実は二日目のときにもここで待っていたのである。
つまりはコロナキ地区を回った後にここでその他大勢の観光客と一緒に。
何十分とバスを待っていたのである。
されど待てど暮らせどバスは来ない。
何故か?
実は後で知ったのだが、奇数日と偶数日で交通制限をしていて
前日8日は偶数日でバスはアテネ市内に入れなかったと…
そんな事はガイドブックには書いてなかった!
「地球の歩き方」にも"Lonely Planet"にも。
というわけがあってピレウスに行く事にしたのでした。
しかぁし、今日(9日)はそんな間違いは犯さない。
奇数日だからバスは来るはず。来ない時は前述のAreos公園まで行くまで。
(というか昨日も公園まで行けば乗れたかも知れない…)
ということでまあ一時間に1本は来るので無事に乗車。
外の景色を見ながら着きましたΠοσειδων(ポセイドン)神殿。
ある程度見回ったものの日没にはまだ時間があったので、
Αφοι Τερλακηというところでサンドイッチとコーヒーを
頬張って時間を潰しました。
ちなみに例の「物憂げな女性」の写真はその間に撮りました。
いよいよ、日没
スニオン岬の美しい景色をお互いとともに収めました。
今まで夕日が地平線に沈んでいくのを
見た事がなかったのわからなかったのですが
あれって以外と早く、すっと沈んでいくんですね。
自分の方に時間をかけすぎ、
危うくTAKOのときには沈み終わりそうになりました。
その後は余韻を楽しんで帰路につきました。
で、アテネに戻ってきたのが22時を過ぎていたと思うのですが、
夕食を取ったわけですがどこで取ったか忘れました。
たぶんByzantino(18 Kidathineon)で
魚料理を食べた覚えがあるのです。
ま、といった感じで3日目は終わりました。
みなさんもスニオン岬に行く時は日にちに注意してください。
時差ぼけなんてなんのその。
というか、日本では夜中になると目が冴えて来るという
そっちの方が時差ぼけじゃないかと感じたくらい
既にギリシャの時間に順応していた俺たち。
そんな元気いっぱいの僕らを迎え撃つ朝ご飯は
結構ボリュームがあってとても良かった。
バターロール、オレンジジュース、コーヒー、ゆで卵等々。
おかわりも出来たので申し分なかった。
準備万端、いよいよ本格的にギリシャ観光を始めました。
もちろん目指すはアクロポリス!
なぜってパルテノン神殿があるから。
この神殿を見て私は凄くギリシャに憧れを抱いたんです。
高校の歴史の参考書の表紙がパルテノン神殿になっていて、
それを見た時に、雄大で荘厳なこの神殿の虜になったのです。
今更アクロポリスがどうなってるか話すのは無駄ですので、
少し今までどれだけ私がギリシャを好きだったかを説明すると、
まあ、最初は学校の図書館にあるギリシャ関係の本、特に神話のを
読みあさり、ノートを取っていきました。
歴史の授業もとりわけギリシャの歴史に注目していきました。
更に近現代史の本も読み進めていきました。
美術の授業で模写のときはアテナの沈思像を題材にしました。
そして、言語も勉強していって今回の旅行へと至るわけです。
いや、なんつうかある意味不思議な出会いでした。
というわけで長年夢にまでも見たパルテノン神殿を
午前中いっぱいをかけてじっくりと回りました。
(残念ながら工事中であまりそばには近寄れませんでしたが)
その時撮った写真はΦωτογραφιεςに後日載せておきます。
その後はフィロパポスの丘に登り遠くからもパルテノン神殿を眺めました。
その足でコロナキ地区へと向かいました。
小腹がすいてきたので喫茶店の様なところでギロスを買って頬張りました。
ここを二、三時間程かけてぐるぐると探索して、
ギリシャの特産品として革製品がある事を調べていた私は
途中赤い革ジャンを買い求めました。
この日から毎日革ジャンを着ていました。
今でも寒い時期になるとだいたいはこのギリシャで買った革ジャンを着ています。
3時頃にはプラカに戻りΥΔΡΙΑ(Adrianou 68)で遅い昼を取りました。
一回宿に戻ったものの午後になにやるかはあまり決めていなかったのですが、
隣に港町のピレウスというのがあるので地下鉄に乗って行ってみました。
なんか見るものあるだろうとうっすらと期待していたのですが
あまりにも何もなくお茶しただけで帰りました。
歩き続けていたので疲れてしまい宿に帰ったら昼寝をしました。
そのまま寝てしまいました…
TAKOは朝まで寝てしまったのですが、
私は夜中の一時頃に起きたもののレストランも閉まりそうな時間なので
諦めて寝てしまいました。
決めていたということは計画性があったということで
流してください。
実は宿屋に行く前に町をぶらりとしていた時、
宝くじがギリシャでは日常茶飯事の様にやっているらしく
俺らもやってみないかと覗いてみました。
結局当選日等の関係等でやめたのですが、
そこにはトトカルチョみたいなのも置いてあって
ちょうど初日(3月7日)にやる試合がありました。
ギリシャ語で書いてあったので相手チームはわからなかったのですが、
パナシナイコスと書いてあるのは読めました。
で宿屋の人にチケット買えるかどうか聞いてみたのですが
「もう売り切れているんじゃないか」らしい事を言われてしまいました。
そしたらTAKOがじゃあいいやみたいな感じで
(記憶が曖昧なんですが)部屋に篭ってしまいました。
俺はふててしまったとやや勘違いをしてしまい、
「あのバカ、いじけちったぞ」って文句言ったら
「買えないかもっていったんだよ」と弁明してきました。
もちろんサッカーを見に行きたかった私は
(なんせ日本じゃギリシャのチーム見る機会は殆どないですからね)
無理矢理TAKOをベッドから引き剥がし、まずはチケットを買いに行きました。
<補足>
この宿屋の人とのやりとりは多少編集されています。
なぜなら英語で会話していたので
まずきちんと訳していたか自信がありません。
次に会話の内容を英語で事細かに覚えていないので
今解釈する事すら不可能です。
と言うわけで正確性には欠けておりますが、
どうかご容赦ください。
<補足終わり>
パナシナイコスのホームスタジアムだったらチケット売ってるんじゃないかと
リカヴィトスの丘の向こう側まで行きました。
歩いて…片道1時間弱掛かったのではないでしょうか。
しかも迷いましたし。
まあなんとか着きまして、どこで買えばいいもんかと探していたら
そこでおじさんがチケット買っていたので
同じように並んで買いました。
でまあ、やっと買えたよと言う事で同じAlexandras通りにある
SUNSET Cafeというところではじめてギリシャコーヒーを飲みました。
これはみなさんが普段飲むコーヒーと違って
挽いた豆にお湯をかけてその濾過した液体を飲むものではなく
細かく挽いた豆とお好みの量の砂糖を一緒に煮詰めたものを飲むものです。
ですから、昔はトルココーヒーと呼ばれていたのですが
1974年のキプロス紛争よりトルコとの仲は悪くなり
ギリシャコーヒーと呼ばれる様になりました。
それで試合開始時間は21:45だったので
一度宿に戻る事にしました。
帰りは賢く近くにあるΑμπελοκηποι駅より
地下鉄に乗りました。
一般的にギリシア人というものは夕食を
深夜0時前後に取るものですが
(もちろん店も深夜1時や2時まで開いてる)
時間の都合上早めに取る事になりました。
場所はFilomousou通りの3にある"AKROPOL"です。
19:30からはブズキの演奏があるので聞いてました。
でここで大失敗しましたね。
ギリシャには水を入れると白く濁るおなじみのουζο(ウゾ)が
あるわけですが、飲んでると更にもう一本瓶が来るわけですよ。
そんなに頼んだっけとおかしく思いながらもよくよく確認せずに
ウェイターを呼んでもうこれいらないよってさげさせたんですよ。
しかし、実はそれ水だったんですよ。
ουζοも最初は透明なんでてっきり…
νεροって書いてあるのに気づかなかったんです。
いやぁ~、酔ってたんですね。
それで気持ちよくなってブズキの音楽聞きながら
まったりとしていたわけですよ。
TAKOは早く行きたがっていたのですが
「まあ急ぐなよ」と宥めてね。
それで21:30位に例のパナシナイコス・スタジアムに着いたんですが、
どうもおかしい…
人っ子一人いない。
こんなわきゃない。
でスタジアムに不法侵入するも誰もいない。
驚いてもう一度チケットを確認すると
「オリンピックスタジアム」と書いてある。
もう驚き、桃の木、山椒の木。
慌てて地下鉄の駅に戻って駅員さんに聞いてみると
もっと北の方のMAROUSSI地区あたりにあるらしいとの事。
急いで電車に乗り、Mounastiraki駅でLINE1に乗り換えて
IRINI駅に向かいました。
(ギリシャには在来線のLINE1と更にLINE2, LINE3というのが建設途中である。
今のところどの程度まで進んでいるのかは未知数だけど)
で降りるとすぐにスタジアムらしき物が見える。
急いで駆け寄るとすでにハーフタイムに突入したらしい。
フェンスによじ登ろうとして、たたき落とされてる奴らを尻目に
チケットを見せ、悠々と中へとはいる。
するとなんと前半1-0でパナシナイコスが押している!
しかも、相手は。マンチェスターユナイテッド!
どうやらこの試合はチャンピオンズリーグのグループリーグで
あったらしく、パナシナイコススタジアムじゃ収容人数が
足らないからこっちでの開催になったんじゃないかな。
というかマンUである事に気づかなかった。
だってΜΑΝΤΣΕΣΤΕΡ Γ.ってTOTOのほうには書いてあって、
その時は欧州のサッカーチームに全然詳しく無かったから
見当もつかなかった。
TAKOは詳しかったけどギリシャ語を読めないし。
チケットの方にはちゃんとMANCHESTER UNITEDって書いてあったけど。
ってことで問題のチケット半券。

試合の方は後半押され気味ながらもカウンターでチャンスを作り出すパナシナイコス。
しかしロスタイムにベッカムのCKを押し込まれて1-1で終了。
でも欧州のビッククラブに引き分けたって事で
サポーターは大喜びだった。
そして、帰りはそのサポーターたちに囲まれて
そばで応援歌を大合唱され揺られ揺られ
OMONIA駅まで行きました。
宿のあるPLAKAまではもう少しあるのだけど
乗り換えなくちゃいけなくてもう電車がなかった。
しょうがないからタクシーに乗る事にしたんだけど。
まあ、そこが危険な地域であるって事もあったんだけど。
で拾ったら「一人3000Drs(千円)」とふっかけてきた。
そりゃいくらなんでもたかいだろうって抗議したら
「二人で3000Drsでいい」ってまけてくれた。
まあ、それでも割と高いんだけど
そこまで交渉上手ではないので諦める事にした。
そしたらもう後は宿に帰ってぐっすり寝たさ。
安さを基準に選んだ航空会社はシンガポール航空でした。
おそるおそる行った訳ですが思ったよりサービスはよく
エコノミー席でもビデオ見れたりゲーム出来たりしました。
(なぜか行きではTAKOの席ではゲームが出来ずブー垂れてました)
スッチーの制服も普通のとは違って民族衣裳みたいで
体のラインに沿っているもので目の保養にもなりました。
ただ一つまいったのは乗り換えの時に空港で足止めを食らう訳ですが
そこではドルも円も使えずにシンガポールドルという現地通貨を使わなければならず
余った分が手持ち無沙汰になってしまうからです。
それ以外は快適な空の旅でした。
それで5時くらいにアテネ郊外にあるエリニコン空港に着いて
(今はなく、エレフセリオス・ベニゼロス空港に代わった)
まずはその時はまだユーロに統一されてなかったので
ドラクマという価値にしてだいたい円の三分の一の現地通貨に換えました。
そこからはバスに乗り40分程でシンタグマ広場に着きました。
その前には国会議事堂があり、「無名戦士の碑」というのがあります。
そこからAmalias通りを南下してハドリアヌスの門とゼウス神殿に向かいました。
更にその通りの裏側にあるArditou通りにあるオリンピックスタジアムを訪れました。
2004年のオリンピックの時には封鎖されていましたが、
その時には自由に出入りする事が出来ました。
おなかがすいてきたのでシンタグマ広場に戻り朝食を取ろうと考えました。
マクドナルドが目に入ってきたのですが
ギリシャのマクドナルドは日本とは違うのかなと少し興味もありましたが
せっかく旅行に来てマックもないだろうと言う事で
近くのカフェかパン屋みたいなところでサンドイッチを買って済ましました。
一応日本から持ってきたガイドブックで
アテネのだいたいの地図は持っていたのですが、
もっと詳しい物はないかと観光所らしきところを回ったところ
通りの名前まで詳しく書いてある地図を見つけました。
(どこで手に入れたかそこまでは覚えてませんが)
でいい時間になってきたので日本人向けの観光会社マリソルに
(詳しくはリンク参照)向かいました。
ある程度の目星はつけていたのですが、
そこで宿屋に連絡してもらえれば楽かなと思い訪ねてみました。
結局は中の上くらいのホテルしか扱っておらず
連絡したところもほぼ満室だった様なので
自分たちで散歩がてらにホテルを探す事にしました。
何軒か回ってみましたがいいところが見つからず
最後にNefeli(16 Iperidou Plaka)という宿屋に向かいました。
交渉してみたところ朝食とエアコン付きで
1泊13,500Dr(だいたい4500円相当)と言われ
ガイドブックに載っている値段よりも少し高かったのですが、
元からある程度はいいところに泊まるつもりで
(行く機会が少ないと考えていたので思い出に)
予算に余裕はあったのでお互いそれでいいかなと考え
そこに決めました。
さて宿屋も決まり落ち着いたところで続きは次回と言う事で。
五年も前の事なので細かいところを思い出すのに時間が掛かります。
なかなかすらすらとは書けませんね。それでは
その前年、私、Dice+Kは大学の語学研修で
アメリカのミネソタ州に行って来ました。(初海外でした)
その時の話をあれが良かった、これが良かったとTAKOに話した結果、
彼も海外旅行がしたいと考えたわけです。
で、三通りくらい行き先をこちらに示してきたのですが
(彼は海外未経験でかつ英語が苦手だったので一人では無理だった)、
生粋のギリシャ好きの私は迷うことなくギリシャ-トルコ行きを選びました。
それで計画を練るうちに日程の都合上からギリシャだけを回る事にしました。
かくして個人旅行初めて、ギリシャ語はまして英語も片言な
男二人の危険な旅は始まるのでした。
夏にホームステイをした私は今度は個人旅行をしたくなり
バイトで金が貯まっていたのでのりのりで
一方TAKOも私を羨ましく思い旅行の計画を立てていった訳です。
しかし、TAKOが忙しいとほざきだし
一週間程しか日程を空けることが出来なくなりました。
そうすると二ヵ国も廻ろうとすると少ししか見れなくなってしまうので
強引に我が儘を通しギリシャだけに行くことにしました。
本当はエーゲ海の島も行きたかったのですが、
三月の始めに行くことになったので望むような景色等は
味わえないと考えて断念しました。
というかその季節は降水量が多いのである程度覚悟した上で行きました。
でひとまずはアテネには行こうと、それだけだとあれなので2
004年に(この時は2001年)オリンピックがあるので
一足先に発祥の地に行っておこうということになりました。
大筋は決まったので細かい計画を打ち合わせていった訳です。
いかんせん二人とも個人旅行は初めてですから
まあそれなりの準備はしとくべきではないかと。
で我が儘言った手前だいたい私が情報を集めました。
飛行機はTAKOにやってもらいました。
まあ楽しかったんですけどね。
ガイドブックはだいたい買って有名な英語の"Lonely Planet"も読みました。
ギリシャ政府観光局が溜池山王にあってそこにも行きました。
(ただその時は非常に迷ったのでブルーになりましたけど)
そんなに調べて行っても面白くないんじゃないかって位調べました。
計画通りに動く性格じゃないんですけどね。
あれ見たかったぁとかあとになって思うのは嫌なんで。
宿屋はアテネでは着いてから探そうと考えてました。
オフシーズンなのでどっかしら空いてるだろうと高を括って…
オリンピアは宿屋も少ないしと不安だったので予約しようと思って
ファックスでその旨を送ったんですが…
送ったつもりだったんですが…
ファックスで返してくれればいいものを電話してきて
しかも時差があるので夜中とかにかかってくるし何とか出たんですけど
ヒアリング力のなさでたぶん予約できたろうみたいな
アバウトな感じで日本を発つことになりました。
そういえば飛行機もわりと困りました。
なにせ向かうは欧州でも貧しい部類に入る国、
まず日本からの直行便がないんです。
別に安いのを選んでるからという訳でなくて。
オリンピックが始まる頃にはそれも解消されたようですがそれは先の話。
しかも学生ですから安いのを選ばざるを得ないんですがするとですね、
ほとんどが中途半端な時間なものばかりになるわけです。
しかたなく日本を朝早く発ちギリシャに着くのは早朝未明という便を選びました。
まだ夜が明けてないときに着くのです。
それでも下手に夜中に着くよりはマシかと思いました。
というわけで計画をたてつつもどこか行き辺りばったりで
TAKOは海外初めてでまったく英語を話せないまま
なおかつ英語圏ではないところに
なかばバックパッカーの出で立ちで無謀にも向かいました。
次は魅惑の国ギリシャに着いたところからと思いましたが
飛行機に乗っているところから話したいと思います。
ではお楽しみに。