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前回、労力には労働量、生産性、評価、という三要素が含まれていると分解しました。余力もまたどれだけの労働量であるかでおおよそ決まります。ここで労働量に力が、一般的に備わる人間的な力が含まれるとした時、余りにも有限な事ではありませんか?以前、石川遼くんが「ゾーン」に入ったと表現された事がありましたが、それは永遠に続けられるのでしょうか?短期間での成果を考えればいいですが、中期、長期となるにつれてそれは無謀な計画ではないでしょうか。ブラック企業で離職していくのが早い事がその証左でしょう。集中力ではなくて精神力でもいいです。時として精神論を過剰にふりかざすのもまた考え物でしょう。精神力といったものは、ある閾値を下回れば一気に低くなるというのは正当な反論です。だから、精神論を説くべきなのでしょうか。そういった力が発揮する効果はS字のグラフを示すと思います。最初はなだらかに始まり、ある閾値で一気に高くなり、その後はまた緩やかになっていくという状態です。緩やかといってもその差が全くないわけではありませんので、もし他の人と比較する必要があるのならばその微々たる差を追求することが必要になることを否定するつもりはありません。石川遼くんが今いる世界はそういう世界だと思います。では、あなたはそういう世界なのでしょうか。あなたの業界において、あなたの大きな会社において、今それが必要なレベルにまずあなたはいますか?周りと比べてみてほかに過不足のあることはもうありませんか。なければ先にそれを突き詰めたほうがいいのではないでしょうか。ブライアン・トレーシーもゴールの中で業界の上位3%に入る人は「全身全霊を尽くす」ことを決めた人だと書いています。そのレベルにおいて、非常に重要なことです。ですがここでは一般的なレベルであることに言及しましょう。


自分のレベルを確認する


評価は自分への指標になりえますが、あくまでも他人に依存するものです。ここを変えようとするのは可能ですが、簡単なことではありません。ドラッカーもまた上司をマネジメントするということは説いています。もし不当に評価されているのならとかく必要なことです。しかしながらもっと簡単なことは、正当に評価される場所に移ることです。では、短い期間で転職するのは正しいことなのか。正しくもあり、間違いでもあると思います。あくまでも評価というのは他人によって起こるということを覚えておいて下さい。あなたが不当に評価されていると自己完結してはいけないということです。関連部署と、社外とよく比べてみることです。その上での判断であるのならば、転職という選択もまた間違ってはいないということです。それを確認するために異業種交流会や朝食会などといった普段の交流とは違う交流を持っておくのはいいことだと思います。これが友達でもかまいませんが、誰が見ても客観的に成果を上げている人から診断してもらうのが正しく判断するにはいい方法だと思います。そこで取り繕ってしまっては、元も子もないでしょうが。


仕事力で判断できるか


さて、仕事力と考えたときにその実体はなんなのでしょうか。まず一義に自分によって発生するものだと思います。段取り力でも、断る力でも、とんがり力でも、なんでもそうです。あなたが起こしている力です。先ほど一般的な人間としての力と説きました。それとはまた別の力ではありますが、いわば知的な力とでもいえますが、自己鍛錬の賜物、自己発生するという点では同じです。限界はないのかもしれません。しかしこれもまた肉体的な力と同じでS字の曲線を描くことでしょう。突き詰めれば、段々と他との差は縮まるばかりです。ここに注力していると二極化した対決を生むことになると思います。○○マーと○○マーの対決のような状態です。端から見れば、どうにも醜い争いに見えてしまいます。(あ、その質的なところがですよ)もし、この分野において追求するのなら、得意な力を選びその組み合わせがユニークであり相互作用が高い状態を目指すべきかと思います。GMでNo.1かNo.2の事業のみを残すという判断をしたときと同じように。


術と戦術の違い


では、仕事力でもなければなにを追及するのが一番影響が大きいのでしょうか。それが、仕事術であり、仕事戦術だと考えるのです。仕事の戦略もまた既定する必要はありますが、方向性として存在するものでよほど突飛なものでなければ差異は生まれないように考えます。しかし術、戦術というのは、自分以外の何かを用いて何かを為す事です。作用させるには、自分の力が必要ですが、その力を増幅してくれる効用を持つものです。時として、マイナスの要因になることもありますが。術と戦術の違いはどこにあるのか。術は英訳すれば、MethodもしくはTechniqueです。その主眼は力を正常に作用させることです。漏れなく、一定の方向性に力をもっていく正しい行い方を示しています。そうなると地力が強い人が最終的にはより多くの効果を発揮させることが出来るという帰結になってしまいます。では、戦術は、Tacticsで、以下の意味があります。

tacticsは"the art of disposing armed forces in order of battle and of organizing operations, esp. during contact with an enemy. Often contrasted with strategy ."とある。


戦略と戦術 - simada


気付けば、昔に自分も書いておりました。
Strategy/Tactics【Δρακοντια Lifehacker's Kingdom】

ある目的のために限定された対象に対して有効な術、法の組み合わせです。ノート術やタスク管理方法はみなさんよくご存知です。もちろんそれは成果を挙げるという目的の下に行われています。もしくは、頭で覚えないようにするという目的のためかもしれません。使いこなしているほど、その人の持つ力を最大限に引き出しているでしょう。では、成果を挙げるということは、頭で覚えないようにすることなのでしょうか。頭で覚えないようにすると、成果が上がるのでしょうか。なにか、この間にひとつミッシング・リンクが残っているのではないでしょうか。そこを繋げる考え方を、戦術を用いれば定義できるのではないでしょうか。


体系化の意義


仕事術は単なる仕事力の出し方であったために、千差万別の力の出し方あったとしても正解を見出すことは困難でした。あなたの置かれている状況、環境を加味して、有効であるかが判定されているわけではないからです。もちろん、方法、術が生み出された背景はあるので、同じような背景の下に使うのが一番効果的であると思います。ただ、方法、術の発展とともにさまざまな場面で使えるようになってきたので、逆にどのような状況、環境で使っていけばいいのかがあいまいになっていると思うのです。そこであえて特定の状況で有効であるように方法、術を組み合わせたものが必要と考えました。
ということで、この連載のタイトルは仕事戦術にしました。仕事戦略だとこのあと1,2回で終わるような内容で終わってしまいます。仕事術の体系とそのまま銘打つと、そのままパクッているだけですので。まだ少ししか戦術は思いついていませんが、書いているうちにいろいろと思いついてくるでしょう。

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前回は、仕事とはという所、仕事力とその源泉が欲にあるという話でした。その時、仕事する事から得られる物は何でしょうか?給料、収入、直接的な物、などがまず思いつかれるでしょう。ひっくるめて言えば、成果という事になると思います。所謂、成果主義は成果に従って給料を払いますよという制度であります。と言うと、ただ成果が給料と等しい物となるので、私としては避けたい所です。欲求を充足するために仕事をするなら、安全の欲求ならまだしも、自己実現の欲求などはどうやって給料で補えるのでしょうか?すなわち成果主義とは成果に応じて、比例してあくまでも給料を払うという給与制度ですので、成果と給料が等価交換される訳ではありません。
「仕事」が「食欲」を満たすことを前提としているのならば、「仕事」によって得られるものとは食料でもありまたそれ以外も付与されてきます。それは先程述べたように安全の欲求が満たされた時には衣食住などが含まれてきます。この様に、間接消費物を生産する活動が伴って初めて「仕事」であるならば、間接消費物とはそこに収入が含まれてきます。さらに高い段階に至っているのならば、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権などといったものが得られていると思います。何を以て得られるものが決定されるのでしょう。それはやはり「成果」だと思います。どんなに「力」があっても「成果」として生み出していなければ、欲求は満たされないのです。捕食活動もまた成果によって報われるのであって、どんなに足が早くても、どんなに腕力があってとしても、獲物を取ることが出来なければ食べることは出来ません。では、「仕事」における「成果」とはどの様に算出されるものなのでしょうか。一定期間における「成果」とは、一定期間に産出した労力と余力の総和だと考えます。


「成果」を産み出す


では、成果はどの様に求められるのか。あまり、数学は得意ではありませんが、方程式にしてみます。
成果=労力+余力
まず、疑問を持たれると思うのは、「何故成果の中に、余力を含めるのか?」だと思います。人間は、というより、地球上の生物というのは循環することを内在すると考えています。他の言葉で言えば輪廻だったり、陰陽道のような考え方に近いと思います。何かしらの正の行動は、負の行動を伴わないと存在しえないということです。簡単にいうと、力を発するためには、必ず力を貯めるという行動が必要になってくるからです。24時間働ける人はいると思います。その次の日も24時間同じように働けますか?さらにその次の日はどうですか?無理ですよね。極端な例でしたが、明日も働くためには今日すべての力を使い切るのではなく、力を温存して置かなければ、もしくは再び活動するならないのです。とすると、成果を出す際にはどれだけの余力を残すのかということも同時に考えなければならないと思います。
また、効率良く休むというのもライフハックとしては、よくある考え方でありますが、ここでは仕事にフォーカスするためにおいておきましょう。


成果だけを望むのか


成果=(労働量×生産性×評価)+(余暇量+必須消費量)

成果は、評価されないです。ただ、給料に換算されるだけで、評価されるのは仕事っぷりです。成果が低くて、評価が高い状態はありませんから。あくまでも評価されたのが成果なのです。評価は客観的な物です。必ずしも上司だけとは限らないでしょう。部下からの評価もあるし、お客様からの評価もあると思います。以上のように、成果というものを分析してみました。仕事するということは成果を出すということです。では、仕事をするとなると、成果を極大化しなければならないのでしょうか。それはもしあなたが誰よりも多くの収入を得たいと思うのなら、成果を極大化する必要があります。成果に応じて収入は入ってきますから。しかし、今誰しもが成果を極大化しようとして、ヒーヒーと根を上げているように思えます。そして、誰しもが労働量にばかり着目して、余力を無くしていき、終いには潰れてしまうのです。成果というものを方程式であらわしたのには、個人もまた企業の収支と同じように考えてみてほしいと考えたのです。すると、成果は企業の売り上げです。労力は企業の原価です。そして、企業の利潤は余力となるのです。企業において大量生産主義が終わったように、個人においても成果の極大化だけが目指すべきところではないのです。ではなにか?利潤の追求です。ステークホルダーの満足です。あなたのステークホルダーは、もちろんあなたがあなたの主人であるというのは当たり前であり、また家族であったり友達であったりしないでしょうか。余力、余暇に使う時間があるから、あなたは家族と過ごしたり、友達と趣味に興じることが出来るのではないでしょうか。つまり、一定の成果を収めつつ、余力を最大化していくことがこれからは求められてくるのではないでしょうか。
これは企業でいうP/Lですね。では、B/Sはどういう風に構成されるのでしょうか。企業では左が資産で、右が負債と利益になります。利益は先ほどと同じように余力になります。資産は、あなたがこれまでに身に着けてきた力だと思います。負債は、というとまるで何か借金しているようですが、こういう言い方もあります。他人資本と自己資本です。あなたが投資できるもの、それはあなたの時間であったりあなたのお金であったりするでしょう。同じように他人がもつものも自分に投資しているのです。それは直接的ではない場合が多いでしょう。本であったり、教育を受けるというのは本来は他人が他人自身のために投資してきたものを借用しているのです。それによってあなたは自分の時間やお金を莫大に使わなくてもすばらしい知識を得ることが出来ているのです。さらにもう一歩、分解してみましょう。


生産性に着目する


成果={労働量×(仕事力仕事術、etc)×評価}+{総運動量-労働量)

流石にこれ以上の分解は 不毛ですので辞めておきましょう。
労働量としてあるのは、かける時間もそうですがかける体力や集中力といった所もそうです。だらだらとやるのと集中してびしっとやるのでは出来てくるものというのは違ってきます。時間ということではサビ残は就業時間に含まれないじゃないですかというはその通りで、しかしながら労働はしているけれども除外される評価になっているという事です。ただ、これらを分けて式にしてしまうと変数が多くなってしまうので一旦避けさせて頂きました。
生産性、この言葉は使う上で悩みました。仕事力という自己発生と、仕事術という自分以外の力を使うという両方を含めざるを得ない。となると、説明がややこしいのですが。ここは後に細かく分類していきましょう。


仕事はやった事が全てというのは、自明の理かもしれません。がしかし、今までは労働量に着目され続けてきたのではないでしょうか。それは今風に言うのなら「見える化」しやすい事であり、つまりは定量的に測定しやすい事であるからだと思います。何時間仕事しました、何個作りました。それは肉体労働者からすれば、単純かつ成果を表しやすい事でありました。しかし、今みなさんは知的労働者となっているのです。何時間も仕事したからいい文章が書けるのか、何個作ったから売れる商品を製造できるのか。それを保証する事は出来ません。労働量×評価という尺度では、どうしようもない事態です。そして、最終生産物に至るまでに多くの人の手を渡ってしまうので、誰がどれだけ貢献しているかは売れたという事実からは測定しにくくなっています。売れるというのが絶対的尺度であるのは誰にも分かりやすい事です。それに対して、間接的な関わり合いしかないとしか見なせないから、労働量に着目せざるを得なくなるのです。例え営業職だとしても、売れたのは営業の手腕によるものか技術的な良さからなのかは分別しにくいのです。それで終わってしまっては、ここで書いてる意味がなくなるので続けるとしましょう。


生産性は一定に増加するのか


このように分解したのは、余力というのは限界量から労働量を差し引いた分であるので、労働すればするほど一律に減っていくということ。対して、労力というのは労働量に対して生産性と評価という係数により増減する可能性を含むということです。これまでの時代では、生産性は年齢に従って増加していくものという前提があったために、それに評価を連動して給与を計算して他の人と差をつけられていた訳です。それは仕事力という内在する力に頼っていたからに過ぎません。その人の持つ生まれつきの才能やそれまでの経験という年月を経るごとに増していくものしかないと思われていたからこそ、そのような給与体系でありまたそれで問題はなかったのです。人より多く仕事をすることで多くの経験をしてその差を埋めようとするのは間違ってはいませんが、非常に大変な道です。そうではなくて如何に賢い人が作り出した方法をうまく使って自分の物にしていくかに注力した方が楽なのです。
方法は既にあるのです。後は知るかどうかです。使いこなしにくい方法というのは、結局は淘汰されていくものです。賢い人ほどシンプルさを追い求めます。見た目だけの単純作業に騙されずに、シンプルで効果的な方法を知って活用していきましょう。

「仕事術」の体系を俯瞰してみたい』、事の発端はこういうわけだ。ある一人のビール好きの天才のお金にはならないような無謀な挑戦が、ある一人のギリシャ好きの気分屋の琴線に触れたことでちょっと首を突っ込んでみようかと思い立ったのだ。既に世の中に溢れる「仕事術」が様々なテクニックやメソッドを紹介しているけれども、そもそも「仕事術」とはなんなのだということを彼は突き止めずにはいられなかったのだ。何故ならば、それらは今や電子書籍の大波に飲み込まれるかという出版業界がこれでもかと出していった3分クッキングのようなものだから。どんなにそれを習得しても、「いい奥さん」になれるという方程式は導き出せない。かの堀さんが「ライフハック」を”Lifehack+ing”ではなく、”Life+hacking”をしているのですというように、「仕事術」をしているだけでは「仕事が出来る人」にはなれないのかもしれない。彼が欲しているのは、『仕事が出来る人」になれるような筋道だった一連の物なのだ。



仕事力」が持つ重み
仕事をしていく上で、それらをサポートする基本的な「技術」。それが一応「仕事術」の私なりの定義だ。それらは「技術」である分、視点はかなり「現場より」だ。現場より、臨床よりなので実践的であるが、その分全体を見通すことは難しくなる。
むしろ、そこから一歩引いてみて、全体を俯瞰し、組み立て直す。枝葉の情報に繋がるための幹のような存在。そういうのが一つくらいはあってもよいのではないかと思う。


R-style » 「仕事術」の体系を俯瞰してみたい



もちろんすでに天才の頭の中には漠然とながらもイメージが存在しているので、私がここで喚くなどというのは余計な「ちょっかい」でしかない。もしかしたら、混乱させることになるのかもしれない。それは私にとっては愉快なことではあるのだけれども、出来るのなら補完できるようにはしたいものだ。これが私にとっての決意表明であり、何回のシリーズになるかは皆目見当はつかないけれども思いつく限りは続けていこうと考えている。


「仕事」とはなんなのか


まず「仕事」がどういった行動で、何のために行うのかということを定義しないと、「仕事術」の体系が必要とされる所以は語れないと思う。「仕事」の定義とは、「捕食活動の高次的発現」であるのだ。つまりは、食べるを取るために狩りをするという原始的活動を代替する、人の役に立つや自分を成長させるといったそれ以上の意味合いを含んだ活動であるということだ。余剰生産物を生み出すことが可能になったことにより、物々交換が始まり、やがて貨幣流通を行えるようになった中で、直接食物を生産しなくても良くなったことにより発生した現象だと捉えている。これは一つの根底があると捉えているからで、それは人間の三大欲求の一つである「食欲」だ。そして、この低次欲求があるという言説が依拠しているのは、アブラハム・マズローの自己実現理論、もしくは欲求段階説と呼ばれるものだ。「食欲」という低次欲求が満たされているという前提のもとに活動しているので、「捕食活動の高次的発現」と表現している。


よく世間一般で仕事をしていて「食べていけるからこんな仕事でもいい」という言説があったりするが、文字通り食べるだけのために仕事している訳ではない。衣食住に関する「安全の欲求」がそこでは満たされている。どんな人も少なくとも雨風がしのげるところにいて、臭い時があっても服はまとっている。ただ、ここで注意して欲しいのは、必ずしもどんな時も「食欲」という低次欲求を満たすために「仕事」をするわけではないということだ。自己実現理論にもあるように欲求は移行されていくので、低次欲求が満たされた状態であればより高次である欲求を満たすために「仕事」をするということになる。ホームレスの人が空き缶や雑誌を集めるのは「仕事」であるけれども、山奥や人里離れたところで畑を作ったりしているのは自給自足の「生活」であってそういう人においてはその上で陶芸や絵画をするのが「仕事」だと言いたいのだ。というところにあって、他者との経済的交流がなければ「仕事」とは言えないとも言える。もしくは直接消費するものではないものを生産するにいたって、「仕事」になるといえる。



仕事力」の必要性


なぜ欲求というものにまで遡って話をしているかというと、欲求を満たすには直接間接問わず「力」が必要だからだ。すなわち、「仕事」という欲求を満たすための活動に対して、「仕事力」という力が必要になってくるという図式を明確にしたかったからだ。そして、「力」が強ければ強いほど、欲求は満たされやすくなる。もしくは欲求が渇望しているから、「力」が強くなるとも言える相関関係にある。このように「仕事力」がその欲求の段階において必要とされる強さ、もしくは多様さも含めて違うと言いたいのは下記の文節に対する答えである。


選択と集中という戦略が必要なように、”○○力”も自分の仕事に本当に必要な力は何か良く考え、選択し集中しないといけないのかもしれません。「知識はあるけど使えない人」若しくは「頭でっかちで動けない人」になってしまわないように、こういった”○○力”本との接し方はちょっと気をつける必要があるのではないかと思います。

これについては完全に同意します。ただ、「職業・職種」だけでなく「その人の志向性」でも必要な力は変わってくるのではないか、と私は考えています。「営業職」でも「バリバリ出世型」と「じんわり居座り型」では必要なスキルは変わってくるでしょう。

結局の所、自分が何を目指していて、そのためにどんなスキルが必要なのかが理解できて初めて「必要な力」というのが見えてくるのだと思います。つまり「選択と集中」戦略をとるためには、その前段階で「自身」について知っておく必要があるというわけです。


R-style » これからのビジネス書に本当に必要なこと



今、「自身」の欲求がどの段階にあるのかを、自らに問いかけることで必要な「力」が何であるのかを的確に認識して欲しい。しかしながらここで注意して欲しいのは、欲求を満たすものそのものが「力」ということにはならないことだ。欲求を満たすのは、「力」によって生み出される他のものだ。


つづく


もう少し続きを書いた時点で、疲れてきました。まだ頭の中でまとまっていないのかもしれません。なぜ【仕事戦術】というシリーズタイトルにしたのかも書かずに続くにしてしまいます。次の回でもまた語れないかも。3000字弱のを5時間もかけてしまっているのだけれども、そう考えると@rashita2さんや@kazumotoさんの書く速さというのは速いのだなと。いや、自分が遅いのであって、やはり書くことがきちんとまとまっているから、その速さで書けるのだなと思います。それよりも集中力の問題かな。訓練の日々ですな。

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